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[2018年11月10日号 1面記事(1)]

第12回「心と命のフォーラム」/総本山善通寺

「ないがまま生きる」

心と命のフォーラム


 「生きる作法・死ぬ作法」と題し毎秋、香川県善通寺市の総本山善通寺(菅智潤管長、法主)で開催している「心と命のフォーラム」の第十二回が十月十日、菅智潤管長、解剖学者の養老孟司氏、僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久師、浄土真宗本願寺派称讃寺住職の瑞田信弘師のメンバーで開催された。今回のテーマは、玄侑師の著書の題でもある「ないがままで生きる」。約三百人の聴衆が耳を傾けながら、それぞれの生き方について考えていた。

 福島県三春町から来た玄侑師は「今年一月に出した小説『竹林精舎』は、原発事故のあった複雑な場所で、若い僧が無住の寺に入り、好きな女性と結ばれる物語。震災後、被災地のニュースは暗いものが多かったが、不安だと人は引かれ合い、二〇一二年には婚姻数がV字回復し、一三年に福島県は出生率が日本一になったので、そんな様子を書いた。次の小説は葬儀屋の話で、伝統的な葬儀の復活を目指す若者が主人公だ」と発言した。養老氏は「現役時代は解剖が多く、葬儀屋と親しくしていた。私の家は鎌倉の寺の地所で、生まれたのも同じ。門前の小僧で仏教のことも分かるようになった」と語った。
 瑞田氏は「福島の原発事故では、玄侑師がお坊さんなりの切り口でいろいろ発言しているのに感心した。『ないがままで生きる』は私が付けたが、そのとおり打ち合わせのないままフォーラムに臨んでいる。計画を立て、それに従って進めるのが常識だが、むしろ自由な展開での発言に期待したい」と話した。
 著書『ないがままに』について玄侑師は「『あるがままでいい』と言われても、どのあたりがそうなのかよく分からない。そこで『ないがまま』を考えた。昨日のことは昨日で終わりにし、今日は一から出直すということ。最近、終活のように、計画を立てるのが珍重される。墓じまいや直葬、家族葬など、新しい言葉が生まれると、事態がさらに拡大する。家族葬は宮崎県の葬儀屋が商標登録している。それが過剰になると身動きがとりにくいので、ないがままを考えた」と説明した。
 養老氏が「今は頭で考えることがよしとされるが、東大でその弊害を実感した。東大病院である朝、カルテの入った金庫を開けようとしたが開かない。夕方になって、東大医学部卒のインターンの医師が、先輩にいじめられたため、扉の内側に瞬間接着剤を塗ったことが分かった。学校の成績と人間性とは関係ない。結婚も理屈ではなく、何も考えないからする。結婚しない若者が増えたのは、理屈で考えているからだ。今、家族葬と直葬が六割で、普通の葬式は四割になっている。そこで葬儀のあり方を研究している曹洞宗の若い僧たちに呼ばれ、仏(遺体)の役をしたことがあり、戒名をもらった。私は玄侑師から二つ目の戒名を頂いたので、一つは愛猫のまるにやろうかと思っている」と言うと、玄侑師は「猫向けの戒名ではないので」とコメントし会場は大爆笑。
 『竹林精舎』で戒名を付ける場面を初めて書いた玄侑師は「故人の人生を反映し、祈りを込めながら付けている。生前に戒名を求める人が年に数人いるので、将来をそれほど悲観していない。昔、僧の多くが学校の先生か地方公務員、農協職員との兼業だったが、葬式で休むのに寛容でなくなり、三つとも難しくなった。職場を含め社会全体がやさしさを失いつつある。早さや効率ばかり求め、人が短気になっているので、寺は少し違う価値観を提供する場所でありたい。賽銭は平均四十円で、お布施にはギャンブル性がある。ものに値段がないイスラム社会には、余裕のある人が高く買えばそのお金が貧しい人に回り、彼らが助かるという考えがある。普段の買い物もお布施で、値切るのを自慢する社会ではない。福祉に回ると信じているのでお金を出せる。資本主義や民主主義の限界が感じられる今、面白い。お経に値段はなく、買う側が決める。原稿料や講演料も似ていて、お布施で動いている世界は結構ある。それが広がると、資本主義に一石を投じられるのではないか。アマゾンが法事まで請け負い、価格化するのには反対だ。アマゾンの要求を受ける僧侶に仕事がどんどん行くようになるから。葬儀屋の言うがままに動くフリーの僧侶が増えるとおかしくなる」と話した。


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