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[2019年1月10日号 1面記事(1)]

新年のご挨拶

本紙代表 石丸志信

いのしし


  平成三十一年己亥の年を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 昨年中は格別のご高配を賜り、心より御礼申し上げます。
 技術文明の日進月歩で、世界の情報が瞬時に得られる時代となりました。人々との交流も広範囲に高速度で可能な時代を迎えました。しかしながら、その中身をみれば、悲しみを覚えるものが多くあります。隠されていた怨みや憎しみが噴出してくる場合もあります。喜び希望よりも心に苦悩を抱える人々がたくさんおられることに心が痛みます。
 人にとっての不幸は神仏との愛の絆が結べなかったことです。慈愛の心を失い、己の欲望のみを満たすことが幸福であるかのように思い違いをしてしまったことです。この問題に正面から向き合い、人々の心を神仏に向け、愛の絆を回復しようとしてきた宗教者の営みはどれほど尊いものでしょうか。
 昨年の一年をしめくくる漢字が「災」でした。東日本大震災以来、日本各地が災害に見舞われ、天災の被害を免れるところは無いほどになりました。裏返せば、誰もがいわれなき苦難を経験し、苦しみ悲しみは私ひとりのものではないという共感も広がりました。
 多くの宗教者が人々に寄り添い、国民の苦悩を背負って悲痛な叫びを天に向け、人々を神仏の懐に抱かしめるように祈ることが多くなりました。
 昨年、私も原爆の日に広島を訪ね、爆心地で静かに祈りました。この数年来、広島の平和観が変わって来たとお聞きしましたが、70年を経てゆるしに基づく平和への希求が高まっているように感じました。秋には、ニューヨークの9・11メモリアルで祈る機会を得ました。崩壊したビルの跡は四角いプール状のモニュメントになり、その周辺は新しい数本のワールドトレードセンターが再建されていました。
 20世紀のグラウンドゼロと21世紀のグラウンドゼロで祈る時、二つの国民が体験した苦痛と深い悲しみを想起しながら、次第にゆるしの情が湧きたち、癒やされていくのを覚えました。苦悩から目をそらさず、神仏に手を合わせて祈ってみると、なぜかしら、祈りはいつしか嘆きから賛美へと変えられていきます。歴史の悲しみの現場で、追悼から復興へのエネルギーがみなぎってくるのを覚えました。そこに神仏の心を見ました。
 聖書に記されたイスラエル民族の賛美歌「詩編」には、個人や民族の嘆きを天に上げ、民族が味わった苦悩を天との絆を結びなおすことで、慰め癒やされていく体験があからさまに語られます。民族が国を失い、すべてのよりどころを失う悲惨な境遇の中で、嘆きながらも天に祈った祈りが多く残されています。彼らと同じ境遇に立ち、そのことばに合わせて祈ってみると、彼らの体験のごとく大きな心の変容を味わうことができます。
 今年、明治、大正、昭和、平成と経て来た近代日本150年の歴史を結び、新たな元号のもと、新しい御代へと生まれ変わる時を迎えます。この国の人々と世界の人々が共に、怨みよりも慈しみをもって相和することのできる平和な時を迎えたいと祈るばかりです。
 神仏を仰ぎ見る宗教者が人々の苦難に目を留め、その苦悩を己のものとして引き受け祈ることを通して、神仏が示す本質的な幸福へと導く一年となることを祈念し、新年の挨拶に代えさせていただきます。


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