山形県酒田市の南洲神社

旧庄内藩士が『南洲翁遺訓』を編集

 

山形県酒田市にある南洲神社

明治維新の功労者・西郷隆盛を祀る神社は鹿児島県をはじめ九州各地に数社あるが、本州にあるのは山形県酒田市だけ。同社に祀られているのは西郷と庄内藩の中老だった菅実秀(すげさねひで)。同社の隣には荘内南洲会の会館があり、西郷の書や遺品などが展示され、西郷の教えを学ぶ講座が毎月開かれている。なぜ、山形に南洲神社が造られたのか?

 

始まりは、明治元年の東北戦争の終結にある。西郷率いる薩軍は上野戦争で彰義隊を破ったが、京都守護職を務めた松平容保の会津藩は抗戦を続け、東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結び抗戦した。慶応四年(一八六八)八月二十三日に政府軍は会津藩鶴ヶ城の攻撃を開始し、激しい銃撃戦の末、九月二十二日に会津藩は降伏した。一方、庄内藩は連戦連勝で政府軍を撃退したが、奥羽越列藩同盟が崩壊してしまったため戦闘を続けることが不可能になり、九月二十六日に降伏した。

幕末に薩摩藩邸焼き討ち事件を起こし、東北戦争では各地で政府軍を打ち破っていた庄内藩は、厳しい処分が下されるものと予想していた。ところが、政府軍参謀の黒田清隆が下した処置は予想外に寛大で、立派に戦った庄内藩に敬意を表するものだった。

白装束で身を包んだ十五歳の藩主・酒井忠篤(ただずみ)が家臣二人を従え、藩校・致道館(ちどうかん)に現れると、最初、上座にいた黒田は、降伏の儀式が終わると下座に降りて忠篤を上座に就かせ、失礼を詫び、事後のことについて話をした。

 その約三時間後、新庄経由で西郷、山県有朋などが率いる北越総督軍が鶴岡に入り、翌九月二十七日には、秋田から薩摩の大山綱良、長州の桂太郎が引きる政府軍が入り、一万五千の規模になった。庄内藩は三千の軍を鶴岡城内に集めたが、小競り合いが起こるようなことはなかった。そして、黒田を通し、寛大な処置はすべて西郷の指示によるものであることが伝わると、・・・

西郷隆盛(右)と菅実秀の「徳の交わり」の像

  

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本紙講演会に上垣外憲一氏

「朝鮮通信使と雨森芳洲」

講演する上垣外憲一氏=5月9日、東京・新宿区の会場

昨年、江戸時代までの日本と朝鮮との友好親善の象徴である朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団「朝鮮通信使」の記録がユネスコの世界記憶遺産に登録されたのを受け五月九日、東京・新宿の会場で本紙講演会「朝鮮通信使と雨森芳洲」を開催、ソウル大学に留学して日韓古代史に詳しく、『雨森芳洲』(中公新書)でサントリー学芸賞を受賞した上垣外憲一・大妻女子大学比較文学部教授が朝鮮通信使の現代的意味について語った。

朝鮮王朝(李氏朝鮮)からの通信使の派遣は室町時代に始まり、豊臣秀吉の朝鮮出兵で一時、中断されたが、徳川家康によって再開され、約二百年間に十二回続いた。その通訳官として活躍したのが対馬藩の儒者・雨森芳洲で、朝鮮の製述官・申維翰との友情は日韓交流史に特筆される。

室町時代の通信使は倭寇対策を日本に要請するのが目的で、また日本の国情視察も兼ねていた。九州を平定した豊臣秀吉は天正十五年(一五八七)、対馬の宗義智に朝鮮国王の来日交渉を命じ、宗義智は秀吉による天下統一の祝賀使節を求めた。同十八年に来日した通信使の名目は祝賀だが、真の目的は朝鮮侵攻の真偽を確かめることだった。しかし、対立関係にあった正使と副使が異なる報告をしたため政争となり、結局、侵攻への備えを怠ってしまう。

江戸期の日朝交流は、日本が朝鮮側に通信使の派遣を打診して始まった。朝鮮では、日本に連れ去られた捕虜の返還を求める必要があり、また、北方から南下している女真族への脅威から日本との和平を図っていた。

最初の通信使が派遣されたのは慶長十二年(一六〇七)で、江戸で将軍徳川秀忠に国書を奉呈し、帰路に駿府で家康に謁見した。三回目までは、国書に答え、朝鮮人捕虜を連れ帰ることから「回答兼刷還使」と呼ばれた。四回目から「通信使」となり、釜山に新しい倭館が建設されて対馬藩士が常駐し、貿易や外交、情報収集に当たるようになる。

通信使の編成は正使・副使・書状官の三使に輸送係、医師、通訳、軍官、楽隊など五百人の一行で、これに対馬藩の千五百人が加わり大行列となった。漢城(ソウル)から釜山までは陸路、釜山から海路で対馬、壱岐に寄港し、馬関海峡を経て瀬戸内海に入り、鞆の浦、牛窓、兵庫などに寄港して、大坂からは、・・・

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2面

米国がイラン核合意離脱

中東諸国で核兵器保有競争

 

子連れの母親が自爆

3教会襲撃される

インドネシア

 

3面

秩父神社における神と仏の共存

桓武平氏を守る妙見菩薩と習合

秩父神社宮司・京都大学名誉教授 薗田稔師に聞く

 

4面

旧庄内藩士が鹿児島留学

西郷への敬慕から神社創建

 

国産み神話の淡路・沼島へ

天沼矛のような上立神岩

 

5面

大宮八幡宮でわかば祭り

天皇陛下御在位30年を奉祝

東京・杉並区

 

瀬田玉川神社で「海と森の教室」

自然の恵みを学ぶ子供たち

東京・世田谷区

 

6面

都会のオアシス

瀬田玉川神社(東京都世田谷区)