一月十三日、鹿児島市の「西郷どん 大河ドラマ館」のオープニングを見た後、南さつま市在住の知人に誘われ、同市にある竹田神社を訪ねた。同社は、薩摩・島津家中興の祖・島津忠良をまつる神社。忠良は日新斎(じっしんさい)の号で知られ、親しみを込めて日新公と呼ばれている▼室町から戦国時代を生き、島津家発展の礎を築いた名将が残したのが、人の生きる道を諭す「日新公いろは歌」四十七首。子供から大人まで暗誦したことから薩摩藩士の規範となり、西郷隆盛をはじめ幕末・維新で活躍した藩士たちにも影響を与えた。郷中教育の始まりとも言えよう▼い「いにしへの道を聞きても唱へても わが行にせずばかひなし」、 は「はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日もと学びをばせで」、ほ「仏神他にましまさず人よりも 心に恥ぢよ天地よく知る」など、その教えは今も新しい▼境内にはイヌマキの並木道に「いにしへの道」があり、いろは歌を刻んだ四十七個の石碑が並んで、人々の散歩道になっていた。案内してくれた元高校教師のボランティアガイドによると、今も子供たちはいろは歌を暗誦しているという▼同社の起源は室町時代の保泉寺。日新公の菩提寺となって日新寺と改称され、神仏分離令により明治二年に廃寺となり、六年に社殿が造営された。これも薩摩藩の歴史である。