五月に旭川市に行った折に訪ねた北鎮記念館には、西郷隆盛の書「旭」が掲げられていた。北鎮記念館は屯田兵や旧陸軍第七師団の歴史、陸上自衛隊第二師団の活動などに関する資料を展示している陸上自衛隊の広報施設で、若い自衛官が一時間かけ案内してくれた▼第七師団は北辺の守りを担う重要師団で、道民は畏敬の念を込め「北鎮部隊」と呼んでいた。その師団長を務め、屯田兵制度を提案して北海道開拓に大きな足跡を残したのが薩摩藩士・永山武四郎▼当時、ロシアは南樺太に進出し、北海道を呑み込む勢い。ところが北の守りは脆弱。明治五年に北海道開拓使に入った永山は、開拓を早急に進める必要があると考え、士族による屯田兵を提案▼それを受けた開拓使次官の黒田清隆が政府に提言し、明治八年から屯田兵制度が実施された。三十七年に解散するまでの三十年間、道内各地に三十七の中隊が配置され、約四万人が入植。永山は彼らを率い開拓を主導した▼一方、永山は日清・日露戦争を陸軍中将・師団長として戦い、旅順と奉天の戦いでは乃木将軍の配下に。屯田兵を含む第七師団は戦死者三千百四十二人を出すほど奮闘した▼永山は明治三十七年、六十七歳で死去。「死後も北海道を守る」との遺言により、遺体は上野から列車で札幌に運ばれた。儀仗兵一個大隊に守られた棺は、会葬者がひしめく道を通って豊平墓地に埋葬され、後に札幌市営里塚霊園に移された。